倒幕により江戸幕府が終わりを告げ、新たに訪れた明治の時代。
激動の時代を生き抜いた、水戸徳川家最後の当主・徳川昭武(とくがわあきたけ)氏が暮らした家を、当時の面影そのままに見られるのが「戸定が丘歴史公園」です。
本記事では、徳川昭武氏とその家族が日常を送っていた戸定邸とその内部、趣きある美しい庭園などを、写真と共にご紹介いたします。
戸定が丘歴史公園ってどんな場所?
松戸市にある「戸定が丘歴史公園」は、水戸徳川家最後の当主・徳川昭武(とくがわあきたけ)氏が作った邸宅と庭園を中心に作られた公園です。
松戸市にある戸定邸は徳川昭武氏の別邸で、本邸は現在の東京都内にあります。
公園全体は「日本の歴史公園100選」に選ばれており、戸定邸も「国重要文化財」に指定される希少な建物。
明治以降の近代徳川家の暮らしを間近に感じられる貴重な場所として、平成3(1991)年から一般公開されています。
戸定が丘歴史公園内には、戸定邸と庭園、徳川家の貴重な遺品や資料を展示した戸定歴史館、茶室として利用されている松雲亭があり、園内は自由に散策できます。
江戸川を望む高台にあり、晴れた日には江戸川越しに富士山の姿を見ることも。
美しく整備された園内は、静かでのどかな空気が流れており、近隣の方もひとときの憩いの場として足を運んでいるようでした。
以下からは、時代を越えてもなお、多くの人に親しまれる戸定邸と庭園の魅力を、さらに詳しい画像と共にお伝えしていきます。
戸定が丘歴史公園の魅力と見どころ
戸定が丘歴史公園は、1〜2時間ほどあれば充分に観覧できる程度の広さですが、事前に見どころや歴史的背景を知っておくと、より深く楽しむことができます。
徳川家の暮らしを間近に感じる「戸定邸」
徳川昭武氏の別邸として作られた戸定邸は、純和風の「木造平家・一部二階建て」という造りで、部屋数が23もある広々とした邸宅です。
特徴的なのは、3つのエリアに分かれていること。
- 来訪者を迎え入れるためのエリア
- 家族が住まうためのエリア
- 家に務める職員などが利用するエリア
多趣味で感性豊かな徳川昭武氏が、さまざまなことにこだわり、考え抜いた先に作り上げた建物であることが、随所から感じられました。
増築を繰り返し、9つの建物となった戸定邸は、全ての棟が渡り廊下で結ばれ、まるで迷路のようでした。
徳川昭武氏は、明治天皇のそば近くに支えなければならない公職についていたため、常日頃は皇居に近い都内の水戸徳川家本邸を住まいとしていました。
松戸市にある戸定邸は、徳川昭武氏がアウトドアライフを楽しむ別荘のような位置付けで、時間の許す時は、松戸の戸定邸に足を運んでいたようです。
また晩年は、この戸定邸でよく過ごしたことも知られています。
当時の徳川家の住まいがほぼ完全に残っている建物はとても希少で、この戸定邸の他にはないのだそう。
静かで厳かな雰囲気の漂った戸定邸の中をぐるぐる歩いていると、まるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えるのでした。
国指定の名勝地・美しい書院造りの「戸定邸庭園」
戸定邸の目前に広がるのは、徳川昭武氏が建物との調和に心血を注いだという、書院造庭園。
書院造庭園とは、庭園の面積が小さく質素でありながらも、創造的に作られた庭園のことを言うのだそうです。
豪華絢爛さを強調した庭園とは違い、一見地味でありながらも、時代背景を汲み取った侘び寂びを感じさせる、趣のある庭園のことを言い表しています。
戸定邸の庭先に広がる一面の芝生は、西洋の技法を取り入れた、我が国現存最古のもの。
こだわり抜いた芝生庭園の奥には、四季を感じる木々が植えられ、豊かな緑を眺めることのできる贅沢さを、ひしひしと感じることができました。
かつて数百年前に、この戸定邸に暮らした徳川昭武氏とその家族も、同じ位置で同じようにこの庭を眺めていたのかと思うと、とても感慨深いものがあります。
徳川家の貴重な遺品を展示「戸定歴史館」
戸定邸の表玄関からやや左手に見える建物が、「戸定歴史館」です。
徳川昭武氏の遺品を始め、松戸徳川家伝来の品、徳川慶喜家伝来の品のほか、徳川昭武氏も参加した1867年のパリ万国博覧会の貴重な資料も展示されています。
興味深いのは、徳川昭武氏や徳川慶喜氏自身も撮影したという当時の写真。
200年以上も前の暮らしがリアルに映し出され、当時の生活が手に取るように伝わってきます。
徳川昭武氏が撮影した写真からは、家族や親族への愛が感じられ、時代は違えど、家族を想う気持ちはいつの世のどの人も同じなのだなと、感じました。
また、戸定歴史館の展示には、1つひとつ丁寧な解説が添えられているため、徳川家のことや歴史的なことが全く分からない状態で訪れた筆者でも、徳川家の歴史的な流れや時代背景、徳川昭武氏と周辺の人物の「人となり」を充分に理解することができました。
戸定邸を拝観したあとに立ち寄ると、展示品の持つ意味をより深く感じられるかと思います。
梅や紅葉・四季折々の花が素晴らしい「歴史公園内」
戸定邸の庭園よりさらに奥には、徳川昭武氏が自ら運んだという樹木がたくさん植えられている公園エリアとなっています。
標高25メートルほどの高台になっており、筆者が訪れた日には、遥か彼方にうっすらと、雪のかかった富士山の姿を見ることができました。
戸定が丘歴史公園の園内は、四季折々の花々が楽しめるとっておきのスポット。
桜の時期にはベニシダレザクラの大木が大変に美しいと、多くの花見客が訪れます。
公園の一番奥まった場所は、梅園となっており、隠れた梅の名所としても有名です。
藤の花が咲く5月頃には、「戸定の藤まつり」も開催。
鉢植えの藤が咲き乱れ、あたり一面は良い香りで包まれるのだとか。
全国的に木々が色付く11月下旬〜12月上旬頃には、公園内の木々も赤や黄色に変色し、素晴らしい紅葉景色を見せてくれることでも知られています。
戸定が丘歴史公園内は、戸定邸に入らなくてもいつでも自由に散策できるようになっているので、四季の花々を味わう目的で訪れるのもいいですね。
数分で周れてしまうほどのこじんまりとした作りで、広くはありませんが、静かで緑豊かな所に行きたいなというときには、ぴったりの場所だなと感じました。
特に平日は、来園者もまばらですので、ゆったりとした時間を過ごせるかと思います。
戸定が丘歴史公園で徳川家の暮らしを感じる
松戸市にある戸定が丘歴史公園のルポをお伝えしました。
徳川家の次期将軍になる予定であった徳川昭武氏。
幻の将軍とも呼ばれる人物とその家族が暮らした邸宅と庭園を見ていると、とても丁寧な暮らしをされていたことが、ひしひしと伝わってきました。
幕末という激動の時代を乗り越え守り抜いた、愛する家族との暮らし。
穏やかで平和な日々を送ることの尊さを知っていたからこそ、松戸にあるこの別邸での暮らしを大切にされていたのかも知れません。
徳川家の貴重な邸宅と美しい庭を見に、ぜひ足を運んで見ませんか。
どの時代に生きていても、人々が暮らしを慈しむ想いは同じなのだなと、和やかな気持ちを感じれることと思います。
戸定が丘歴史公園
住所:千葉県松戸市松戸714-1
電話:047-362-2050(戸定歴史観)
営業時間:9時〜17時
休業日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
アクセス:
<電車>JR常磐線・新京成線「松戸駅」東口を下車、徒歩約10分
<車>水戸街道(国道6号)経由・または流山街道(県道5号)経由し、戸定みその坂方面へ
駐車場:無料(乗用車46台/バス6台)